波が荒磯に噛みついて砕ける。刹那、視界をしぶきが遮る。その向こうに虹を見た。瑞兆と呼ぶにはあまりにも儚く、遠い虹を。
勝者の裏には必ず敗者がいる。これから語るのはそんな負け犬の遠吠えだ。読めば不快になるかもしれないのでぜひ読まないでほしい。
<day1>
正木さんが一時的に帰るこの日。まずは朝マズメで実績のある磯を攻めるが潮が走らず魚からの反応はない。レンタカーを返すために早めに上がる。
再び仕切り直して自転車で出発。干潮周りの潮止まりから上げ始めを狙いキャストを続けるがやはり潮は流れない。
この日は魚に会うことができなかった。
<day2>
この日は前日のポイントに見切りをつけ新しいポイントへ。が、潮は流れない。
ここでアクシデントが。宿泊していたキャンプ場が新型ウイルスの感染拡大の煽りを受けて臨時閉鎖するというのだ。
釣りをしている場合ではないのでとりあえず宿を探す。すると、島で知り合ったEさんのご厚意で泊めていただけることに。本当にありがたい。
が、再びアクシデントが。キャンプ場から荷物を運び出す際に、自転車で転倒し左手を捻挫してしまったのだ。釣りで直接怪我をしたわけではないとはいえ疲労が溜まっていたことが原因であろう。長期遠征での体調管理は今回の大きな教訓である。
せっかく超一級ポイントに来ているのに釣りができない。
焦りが、募る…
<day3>
この日は無理を押して前日にキハダがあがった堤防に向かう。Eさんの家から堤防までは長く高低差のある道が続く。ただ大物を釣りたい一心で、泣きながら、左手首をかばって自転車で坂を登る。
1時間半かけてやっと着いた堤防で釣りを始めるも手首のあまりの痛さにキャストができない。
自分は何をしているのだろうか…
帰りにまた坂を登っていると親切な島民の方が自転車ごと車に乗せて送ってくれた。
島民の底知れぬ優しさに触れると同時に、独りよがりの自己満足で行った行動の尻拭いを他人にさせてしまったことに罪悪感を覚えて、助手席で涙が出そうなのをグッと堪えていた。
Eさん宅に着いても、暇なので休養をとることにした。
釣りをしない時間は色々と考え込んでしまう。
「運も実力のうち」。僕はこの類の言葉が嫌いだ。
努力して得た結果を「運」などというチンケな言
葉で片付けてもらっては困る。だからこそ釣果に
偶然はなく必然だと思っている。
それでも、考えてしまうのだ。もしあの時自分が
同じポイントにキャストしていたら、なぜ自分で
はないのか、自分の番はいつなのか、俺は、俺が、
俺だけ…と。
そんな自分のことしか考えていない自分が、
嫌いだ。
嫌いだ。
どうしようもなく。
それでもこんなどうしようもないクズのことを心
配してくれる人、世話を焼いてくれる人、そして
無茶をしたことを本気で叱ってくれる人がいる。
世界は優しすぎる。
その優しさがまた、傷口に染みる。
<day4>
この日から正木さんが再び島に戻ってくるため、お礼を言ってEさん宅をあとにする。さらに島に来て免許証を忘れて困っていたIさんも最終日までご一緒することに。
が、僕はまだ釣りをすることができないので一人で磯を眺める。
そんな時に限って青物のバイトがよく出る。惜しくもフッキングには至らなかったものの、この日は多くのチェイスやバイトがあった。
この日からまたまた島で知り合ったYさんのご厚意に甘えて空き家に泊まらせてもらえることに。本当にお世話になりました。
<day5>
一日釣りができるのはこの日が最後。だが、僕はまだ釣りができないため虚無な時間を過ごす。
それはもはや拷問と呼ぶのにふさわしい。永遠とも思われるような長い時間が経って、赤い火の玉がやっと水平線の向こうに沈んだ。
この日も魚の姿はない。
<day6>
この日の朝マズメが本当に最後。腕の怪我もある程度回復したため僕も最後の悪あがきをする。入ったのは正木さんが巨マサを釣った磯。
わずかな時間ながらもIさんと二人で強烈な横風の中休むことなく投げ続けた。
磯は、沈黙を守ったままだった。
朝から北のほうに見えていた虹が、帰る頃には無くなっていた。
虹とはなんだろう。絶望の雨に打たれた人々を照らす希望の光、美しき光。
だが、そこに一種の残酷さを垣間見てしまうのは僕だけだろうか。それを見たものは否応なしに惹きつけられる。二度と忘れることはできず一生追い続けることになる。たとえそれがどんなに遠く、儚くても。
そうして虹を追い続ける人はそれとはおよそ真逆の、死に至る病に徐々に蝕まれていくのだ。
虹は、夢だ。
虹は、呪いだ。
釣り場を後にする車の中にワイパーの音が響く。
雨はしばらく止みそうにない。
投稿者:宮武
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